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明窓浄机

明るい障子の前に置かれた小さな机。
きれいにかたづけられた小部屋に朝の冷気が満ちて…
と、まあ、こんな理想を描きながら、散らかった机の上で書いています。
<< 図們 | main | 琿春 >>
密江から電湾子
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    図們から車は国境の図們江ぞいに走る。Nさんたちが草を枕にした山や野を過ぎていく。

    『私たちは図們で二日ほど休んでまた出発しました。集落をいくつ通りすぎていったかわかりません。そうして密江というところに着きました。密江から琿春県にいくには大きな山の連なりを越えなければなりませんでした。  この山は日本軍とソ連軍が最後に戦った場所でした。私たちは外国の文字が書かれた墓標のそばを通りました。だれかがロシア後が書いてあると言いました。日本語の墓標は一つもありませんでした。穴のなかに多くの人が埋められていました。戦いが終わってから集められた兵士の死体でした。埋められずにいる死体もたくさんありました。林の中や草の間にそれは転がっていました。 私たちは来る日も来る日も歩きましたが雨にあうことはありませんでした。しかし、中国の北の地方は九月になると夜は冷えました。風邪をひいて病気になり歩けなくなる人がだんだんと多くなりました。毎日、落伍していく人が出ました。しかしだれもどうすることもできませんでした。 私は妹が背中でどんどん重くなっていくのを感じていました。私は疲れていました。昼は歩き疲れ、夜は寒さとたたかわなければなりませんでした。夜は草の上で寝て星をながめる毎日でした。早くこの恐ろしくて悲しい境遇から逃れたいと思いました。 誰かがこの山を下ると琿春県だといいました。それを聞くと勇気がわいてきました。早く家に帰りたいと思いました。しかし、帰る家がなくなってしまったことを私は知りませんでした。
     こうしてついにある日私たちは山を下って琿春県の電湾子に着いたのです。』(Nさんの作文)


    図們から密江にいたる風景。オミナエシの花が咲いていた。

        


    密江の鉄道駅舎だった建物だろうか。今は使われてなかった。

        




    密江の地名の書かれて看板。ここを過ぎてしばらく行くと山にぶつかる。新しい道はトンネルとなっていた。Nさんたちが越えた山塊を車はあっという間に通り過ぎていく。
        

        



    延吉に住むNさんの甥にあたる方が車を出してくださった。

           



    電湾子と書かれた標識の集落はまばらに建物が見えた。琿春県のはずれの電湾子村から中心部に入っていく。

        
    | 西の谷から | 15:09 | - | - | - | - |